人間とは、学習する能力の高い生物であり、反復を常とする賢い動物である
どこかでステキな女性と出会う
雷に打たれたかの様な強い衝撃と共に、自分のモノにしたいという願望が強く沸き立つ
男、というかオスである以上当然の現象で、遺伝子を後世に伝えようとするメカニズムは、太古の昔から一切の変遷は無いし、自然界の生物全てが行う共通の行為であり、行動である
しかし、人間は学習してしまうし、慣れるという悪習が身についている
世界のあらゆる学問の機関で行われているホルモンに関する研究
ほぼ世界の定説だが、男性が女性に抱く激しい恋心は、平均すると4年で消え失せる
これにはキチンとした裏付けがあって、一種の覚醒状態である恋愛期間は、あまりに長く続きすぎると身体に変調を来してしまうので、ある種のセーブが働き、結果としてドキドキワクワクは4年しか続かないのである
ガラスの靴でプロポーズされたシンデレラ夫妻も、子供が出来て以降の15年後ぐらいは
『まったく、あんたぁーーーーーっ、服脱ぎっぱなしにしないでっていつも言ってるでしょ!!』
『うっさいなぁ~、ガミガミガミガミとぉ』
あの時の、ガラスの靴を恥ずかしそうに履いた彼女が、ホントに今目の前に居る女かぁ??
あの時、ステキでとろけるような感覚を抱かせた細身の王子が、目の前の腹の出たオッサンな訳がない
という具合だろう
どこの夫婦も、そこそこで折り合いをつけて、まぁ上手くやっているのだ、感動もドキドキもないけどね☆
これは、勝負師にとっては、競馬に置き換える事が出来るのか?????
カツラギエースの大逃走劇をTV中継で観たのが、初めて競馬というものをハッキリと意識した瞬間であった、もっとも小学生の時に、足の速いヤツにハイセイコーというあだ名をつけたりする事は、それ以前にもあったが
当時、お世辞にも優等生なんかでは全くなかった高校生勝負師は、女子高の文化祭に行ってはナンパをし、夜の街では目が合った合わないでケンカ、学校には殆ど行かずに仲間の家で麻雀や、不純異性交遊の連続だった
そんな頃、遊び仲間が、当時売出し中のシンボリルドルフが負けると言って、購入してはいけない馬券を購入し、みんなでJCを観ていたのだ
その時は、ソイツが儲けたカネで豪遊したのだが、まだ競馬にはハマッていなかった
そして数年後、競馬界にはスーパーヒーローが出現した
当然、徐々に勝負師も競馬に魅了されるようになる
オグリキャップ、タマモクロス、スーパークリーク、イナリワン、サッカーボーイ、ダイナアクトレス、マティリアル、レジェンドテイオー・・・・・・etc
ホントに面白かった、レースの最初から、矢吹丈と力石徹の試合のような壮絶な死闘が繰り広げられた、終盤の精根尽き果てるかのような闘いは、馬券を握りしめてアツくなれた
わたし勝負師は、全身が派手でとても美しく、それでいてレースで最高のパフォーマンスを発揮した時には、無類の強さを見せるサッカーボーイがシビレるほど好きで、全身に鳥肌を立ててレースを観戦した
当時の私は、20歳になったばかりで、定職にも付かず、女のヒモのような事をして小遣いをせびっては馬券を買いに行っていた、カネもなく未来も無く、その日暮らしのどうしようもないヤツ
でも、レースではいつもワクワクした、ゴール前はドキドキしていた
無知だったからか????生活が安定していないからか???若かったからか????
競馬自体が面白かったからか????
シンザンでワクワクした人間は、オグリキャップではワクワクしなかったのか??
テンポイントに心を奪われた人間は、シンボリルドルフには興奮しなかったか??
つまりは、勝負師が今現在20歳であったなら、馬券を購入しに行くようなら未熟なファンであったなら
三冠馬が誕生した菊花賞で、純粋に感動できていたのだろうか???
女に飽きるように、競馬に飽きてしまっているのだろうか??????
答えは見つからないが・・・・・・・
少なくとも、競馬を愛している自分を否定する事は、これまでの人生をも否定する事
きっと飽きてはいないのだ、いや、飽きてはいないはずだ、飽きていないと信じたい
やはり、レース自体が
アノ、日夜感動していた、アノ時代とは別物なのだ
そう解釈せずにはいられない
何故ならボクは
今でも物事に感動や興奮できる人間だからだ
明日を期待しなくなったら終わりだ、競馬の明日に期待しよう
何か出来る事を始めよう
未来の人類に競馬というステキな物を残すために!!