趣味は何ですか???? お見合いや、男女が出会う場での定番の質問
話のとっかかりとしての意味があるのだが、やはり知らない人間を知ろうという行動で現れる顕著な例であるのだと思う
自分は山登りが好きだが、相手は完全なインドアで、特に登山の意味が全く分からない、といったケースでは交際しよう、交際したいという思いは低下するモノと推測する
あるいは、同郷であるとか、同じ映画で感動したとか、境遇が似ているとか、相手との類似性を見出すと人間はとても嬉しくなるように出来ている、感性が千差万別である事を理解しているのだが、どうしても自分と似た部分を見つけようと必死になるし、見つけたら少なからず行為を持つものである
わたしは、趣味ではないが映画が好きである、恋愛を主題とした映画は全く観ないが、人生の儚さや欲望によって破滅していくようなストーリーは特に好んで観る
オペラ座の怪人が最も好き、という女性が居るのだが、勝負師はそれを観ようと思っても、スタートから約20分ぐらいで熟睡してしまう、相手を理解しようとチャレンジするが、やっぱり寝てしまう
感性とはそういうものだ
ラウンダーというアメリカ映画をご存じだろうか???
これは勝負師がかなり好きでゾクゾクする映画で、一人のバクチ打ちが彼女のためにバクチから足を洗うが結局止める事が出来ずに、彼女を失っても強敵を倒すために日夜修練するという単純なストーリー
しかし、この独特な世界観が、観ていてゾクゾクするのだ、ニッポン映画でいうと ゛麻雀放浪記゛ の世界観と似ていると感じる
バクチどっぷりな人生、大切なものを失うリスクを突き破るかのような急き立て感
なんて素敵な世界!!!
本題に入るが
大型書店などに入ると、様々なコーナーが設けられている、文庫系や新書系、医学・法律・建築・・・・
たまにギャンブルというコーナーを見つける事が出来るが、圧倒的にパチンコ必勝法に負けている、ギャンブルコーナーに競馬が無いと、多くの場合はスポーツコーナーに置かれている
はぁ?????競馬がスポーツ?????
馬がかけっこをするという事ではスポーツであるが、競馬はどの馬にBetするか??というれっきとしたバクチである、馬券というシステムを廃止すれば、競馬産業は途端に衰退する、無くなりはしないかもしれないが、その市場は著しく最小化に向かう事必至である
メディアに登場する著名人や知識人が、ニッポンの競馬はスポーツ色が薄いとか、欧州の競馬は格調高いなどと発言する機会も多いが、トンだ勘違い
バクチ以外の何物でもない、そう競馬はバクチなのだ
エンターテーメントを求めるなら、劇場で芝居でも観ていろ、映画館にでも行きなさい
武豊は、かつてメディアのインタビューで 『ニッポンの競馬ファンは恥ずかしい』 とヌカした事がある
これは、思春期の息子が、油まみれで働く自分の父親の職業を恥ずかしいと感じる事と同じで
テメー!!このおかげでメシが食えてんだろー という事である
それならば、佐藤哲三のような 『馬券に絡む騎手でありたい、ファンが喜ぶ騎乗をしたい』 の方がよっぽどおりこうさんだと思うし、健全だと感じる
大げさだが、バクチとは命を懸けた戦いであり、大きな代償を払ってでも勝利を手にしなくてはならないモノなのだ、どんだけ頑張っても負けていてはダメダメなのである、勝たなければ意味が無い
だからこそ真剣勝負で繰り広げられる死闘の数々は、観ている者に高揚感を抱かせ、興奮と感動を与える
もし、サッカーワールドカップで、選手の数人が 『まぁ出てるだけでカネ貰えっし、ケガしてもバカらしいから、なんとなくやってる体でいっとこう』 と思って試合に出たら
それはそれはつまらない試合になる事は間違いない、その時ファンは必ずこう思うだろう
『そんなら、ヤル気のないヤツ下げて、下手でもガチなヤツを試合に出せ』 と
勝負とはそういうもの、いや、そうでなくてはならないもの
真剣勝負をする気の無い者は、そこから去るべきだ!!!勝つための努力と過程の中で、例え生命を脅かすような危険があっても、それならば負けても良い、という発想は決して生まれない
そしてそういう種類の人間を決して許容してはならない とオレは思う
まぁ、これもわたしの感性
オペラ座の怪人で感動するという人とは、結局恋愛関係にはならないというだけ
だって、ラウンダーの方が面白いという考えは揺るがないのだから