競馬を始めた1970年ごろというのは、マーケットブリーダーよりオーナーブリーダーの方が格上という社会的な評価があったように思いますね。
シンボリ・メジロ以外にも扶桑(中村氏)、ユートピア(栗林氏)那須野(河野氏)とか、
新興、カントリーのトレーニングが動物虐待だと騒がれたりしていました。まぁ、欧米のホースマンが見たらひっくり返るようなトレーニングをしていたわけですが。
その頃の社台Fというのは、今でいえば、マイネル・コスモ軍団のような感じでしょうか。
よく、スーパーダイエー(ダイエーはダメになりましたが...)のような牧場と言っていました。比較的良質な商品がリーズナブルな価格で売られているというわけです。
最近、吉田照哉氏が生産者の団体の青年部で講演をしたという記事を読みました。
内容をざっと紹介しますと、
1.かつて日高にはヒンドスタンが、ネヴァービートが、テスコボーイがいて、社台の馬は勝てなかった。
2.なんとか勝てる馬を生産したいと、倒産するかもしれないという恐怖感を感じながら次々と種牡馬を購入した。
3.そこから、ノーザンテーストが、トニービンが、リアルシャダイが出て、サンデーサイレンスが出た。
4.(講演中なんども)「幸運だった」という発言があった。
この「恐怖感」と「幸運」という言葉は、照哉氏の本音だと思いますね。正直に語っているという印象を持ちました。
結局、ノーザンテーストが社台Fを日本一の牧場にし、サンデーサイレンスが社台Gを世界有数の生産者にしたということは歴然たる事実といえるでしょう。(この項続く)