ダービー卿CT2009予想
どこからでも狙えそう

雨龍泥舟
08期 予想歴40年

◎タケミカヅチ
  1着/1人気

○マイネルスケルツィ6着/2人
▲ショウワモダン8着/5人


マヤノの2頭出しでは、ライジンの方がねらい目かと思っていたので、ツルギの前売り一番人気には驚いた。

人気差ほどには実力差はなく、しかも、実力差はハンデで調整されていると考えれば、どこからでも狙えるということだろう。

印は、以下、
☆ マヤノライジン
△ マイネルフォルケ
△ レオマイスター
△ リザーブガード
△ レッツゴーキリシマ
△ キャプテンベガ
△ サイレントブライド

馬券はどう買うか、難しい。

とりあえず、1.2.4.5.8.12辺りを絡ませての三連複。


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ダービー卿CT2009回顧
寺山修司が教えてくれた遊び

雨龍泥舟
08期 予想歴40年

次走狙い:マイネルファルケ


日曜日の夕方、小中陽太郎著「市民たちの青春 小田実と歩いた世界」を読んでいると、そこに寺山修司が出てきた。

反戦運動をしていた小中に対して、寺山が「小中は本当にいつでも平和のことだけ考えているの」といった。
からかわれているとはわかったものの、売り言葉に買い言葉、ぼくもこう言い返した「じゃあ、あなたはいつでもハイセイコーのことを考えているの?かならず勝つ馬の馬券を買ってどこが面白いのさ」

次第に毒を含みだした。ハイセイコーは当時無敵を誇った、地方競馬から来た馬の名である。寺山は、少し居住まいを正して、「君は競馬に敵意を持っているな、それなら言おう。君が子供の教育費の貯金を下して50万円(これが当時のわれわれにとっての大金だった)、全部ハイセイコーを買ったら、そうは言えなくなるよ」…

とここまで書いて、はたして若い人たちは寺山修司を知っているのだろうかと不安になってきた(この競馬ナンデの投稿者にも20代の人が多いので)。彼が死んでからもう20年近くなるのだ。
世代的には、今も活躍している人で言えば石原慎太郎と同世代か。寺山の方が若干若いかもしれない。
もっとも当時の若者たちが石原慎太郎から何らかの影響を受けたということはまったく無いと思うが、寺山の影響を受けた者は多いと思う。

まず、「書を捨てよ、町に出よう」この本を読んで家出した高校生がどれほどいたか。

家出教の教祖などといわれていた。

当時はアングラ演劇の全盛時代で、唐十郎の状況劇場と寺山の天井桟敷が人気を分け合っていた。
劇団員同士仲が悪くてね、乱闘騒動で寺山と唐が警察にしょっ引かれるなんて事件もありました。
ビートたけしが「仲間はみなアングラに行ったがおれは浅草に行った」と自慢してますが、まあそんな時代でした。

もっともぼくは、寺山の芝居は体質に合わず、深入りはしませんでしたが、変わりに夢中になったのが、彼が最初に捨てた短歌でした。

彼の短歌を読んで、こんな短歌があるのかとびっくりしました。
俵万智が教室の机に落書きされていた短歌に感動してをノートに写したら、後日、寺山の作品だったというエピソードがあります。

マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや

まぁ、当時はかっこいい文章を書く人がたくさんいました。

あとは競馬エッセイですね。「馬敗れて草原あり」ほか競馬3部作は不朽の名作です。

さて、寺山修司が教えてくれた遊びとは、当たり馬券で背広を誂え、勝馬の名前の刺繍をするというもの。

さすがに恥ずかしく、「タケミカヅチ」と刺繍はできませんが。

次走狙い馬はマイネルフォルケにしたが…(ほかに見当たらず…)。


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