サラブレッドは何故イギリスで生まれたのか  その4

「サラブレッドは何故イギリスで生まれたのか」はもう一度最初から書き直すことにし、ここでは、その時々に思いついたことや気になったことを書いていくことにします。まぁ、一種の忘備録。

 

あるブログを見ていたら「バイアリータークもターク(トルコ馬)という名称ではあるがトルコ産のアラブである」と書かれていました。

 

また、別のブログでは「生地は、当時オスマン帝国があったトルコ付近と推測されているが、ロバート・バイアリーが捕獲する以前については全くの不明であり根拠はない。品種についても前述の通りアラブ種かターク種かはわかっておらず(左上のジョン・ウートン作の絵画ではアラブ種の特徴をよく示している)、当時はトルコ付近から輸入された馬は全てタークと称していただけであり、バイアリータークは実際にはアラブ種だったのではないかという意見が多い(ただしターク種(トルコ馬)はアラブ種を使って改良されたため特徴が似ていてもおかしくはない)」と書かれていました。

 

ここで問題にしたいのは「トルコ産のアラブである」、「バイアリータークの肖像画がアラブ種の特徴をよくあらわしている」、「ターク種はアラブを使って改良された種である」という部分です。

 

でも、そう断定的に言い切っていいものかという気がします。

 

まぁ、こういう理解にはネタ元があるんですよね。

Wikiのバイアリータークの解説に「品種について、ジェネラルスタッドブックはバイアリーターク(Byely Turk)、つまりターク種と記載しているが、残された絵画での特徴はアラブ種のもので、ターク種ではなく単にトルコ生まれのアラブ馬との説もある」とアラブ馬説が紹介されているわけです。

Wikiの記述は、決して断定しているわけではなく、「アラブ馬との説もある」と別説の紹介にとどまっているわけですが、それを参照したと思われる個人ブログが断定的に自説を展開してしまう、という、まぁ、ありがちなことではありますが...。

 

当時の馬の肖像画というのは、力士の錦絵がそうであるように、デフォルメされて書かれていますから、バイアリータークの肖像画から、アラブ種の特徴を読み取ることができるのかというと、はたしてどうか?疑問です。

 

そもそも、この論者は、ターク種の特徴を知った上で、両者を比較して、アラブ種に近いと判断しているのかというと、そうではないでしょう。

 

ここでいわれているターク(トルコ)種というのは、何を指すのか。まず、そのことが問題になりますが、現在は絶滅した(もっとも、後で紹介するアハルケテ種と同種と考えると絶滅はしていないことになるが)トルコマン種を差すと考えて間違いないでしょう。

 

すでに絶滅していますから、その形質がどのようなものであったのかは不明ですが、幸運なことに、トルコマン種と同種か極めて近い種と考えられるアハルケテ種が極めて少数ですが現存しています。

 

このアハルケテ種は前漢の武帝が求めた「汗血馬」と考えられている馬ですが、50頭譲ってほしいと平和裏に交渉したところ断られ、軍隊を派遣して強奪したといわれている馬です。

 

新しいところでは、日露戦争の際、日本軍を悩ましたロシアのコサック騎馬隊が乗っていた馬がこの種で、日本軍馬の劣悪さを痛感した軍部が、馬種改良に乗り出した(そこからサラブレッドを含む多くの馬種が輸入された)きっかけとなりました。

(こんな感じで断続的に続けていきます。)

 


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